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美登里の一輪挿し

 きみに、下町の路地のことを話せたらと思っていた。妙に入り組んだ細い小道と、青い空、そこを足早に流れるむら雲と、アスファルトの上をせわしなく動き回るせっかちな住民。3月18日の良く晴れた午後、私たちはそこを散策した。道端には芸をする年老いた犬のおまわりさんがいて、ベーゴマ体験を勧める三人の無邪気なお爺さんがいて、彼らが一方的に早口でまくし立てる様子は、私にとって世界で何より自然な光景だった。

 母親は下町で生まれ育った、三代以上続く生粋の江戸っ子なのだが、本人はそのキャラクターを頑なに封印し、私が幼稚園に上がると同時に、家族を率いて郊外へ引っ越した。しかし私は何度も彼らの独特なコミュニケーションを求め、学校の長期休みに入る度に遊びに行き、親戚一同のアクの強い東京弁に耳を傾けていた。ゆるやかな坂道を歩きながら、そんなことを君に夢中で話していた。見てごらん、あまりにも田舎くさくて、東京色の強いところ、私の幼少期を過ごした場所は、いかにもこんな風だった。何年も何年も前のことだった。私はこんな場所が気に入っていた。両脇には個人商店がずらりと並んでいて、住民らは誰のことも傷つけない、巧みな悪態、すなわち粋な台詞を矢継ぎ早にまくし立てているのだが、彼らの話はいずれも、一人の恋人への優しさに満ち溢れていた。そんな江戸っ子たちのおしゃべりに耳を傾けるのは、ある格子門の前にそっと置かれた水仙の造花を拾い上げて、するりと樋口一葉の小説の中に入るようなものだった。それが人生の扉だった。この場所の散策は、私を織り成すものの、いかにも一つの作りごとの読解であるように思えた。

 

 

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2017/02/24

‪晴れ。寒くなった。

9時間労働した後は気力がなくなってしまうので、寧ろ余力で仕事をするべきだと思い、家を出る3時間前に起きて読書をする。泉鏡花婦系図』を読みかけたが、気が散ったので、花瓶の水を取り替えに自室へ戻る。友人が「この花束、アレンジが全然気に入らなかった。早くドライフラワーにでもしちゃって」と寄越した花だが、白い花は乾燥させると美しさが損なわれるので、それはできない。泉鏡花を戻して、代わりにカフカの短編集を取り出して読む。アラームが鳴ったので、本を畳んで考え事をしながら朝ごはんを食べていると、外で瓶を棄てる音が鳴る。現実に引き戻されて、仕方なしにテレビをつける。連日、同じニュースしか報道されていない。人が殺された話が1件と、殺されかけた話が1件、皇族の話が1件。私は何を考えるでもなく、ただ画面越しに進行する拒食症を眺めている。ボーッとしていると、犬が勝手に短い鼻で柵を開け、こちらへやってきた。ボーッとしながらしばらく彼女を撫でて、家を出る。今日も同じ場所で9時間を過ごす。

そういえば昨日、職場で「いつも助けてもらっているから、そのお礼ね」といってクッキーの詰め合わせをもらった。人に頼られるのは嫌いじゃない。でもどうせ私は全力を尽くすことなどできないのだから、これはずいぶん悪趣味な考えなのだと、自分に言い聞かせておく必要がある。自覚した上で、行動をすること。これが今の私に必要な気休めなんだろうなあ、多分。


2017/02/09

 「お休みは、どこかへ行くの?」という先輩からの問いかけに、箱根にでも……、とふやけた感じの返事をすると、「明日は雪が降るから、気を付けて行ってらっしゃい」と、助言された。車を手配してくれた人に連絡をすると、箱根は積雪の可能性があり、運転には危険らしいとのことで、急きょ行き先を変更した。私自身は、場所に対するこだわりは特に無く、あるのはドライブに対するこだわりだった。それにしても、天気の話は人の悪いところを引き出すことがなく、誰とでも話せる共通の話題であり、おまけに時々、役に立つ。天気の話における信頼感が高まった。これからも天気予報は見続けよう。

 

 朝、大まかな計画を立て、お城を目指して北上した。高速を通過し、山道の中を分け入っていくうちに、自分の中にある、寒くて人気のない土地に惹かれる気持ちを再認識した。人が皆室内に籠り、必要最低限の時しか表に出てこないような、寂しい地域であればあるほど魅力的に映る。寒さの厳しい地域には、信仰がたくさん存在しているからなのだろう。フロントガラスに薄っすらと白く重なる雪を眺めながら、そんなことを考えていた。

 

 雪に包まれたお城は、綺麗で人がいなくて最高だった。この景色を、来年、もしくは再来年は、ドイツで見たいと思った。大学生くらいの男子グループがはしゃいでいる姿や、3,40代くらいの男性同士で静かに笑顔を浮かべている姿が散見された。自分で性別を選んで、誕生することができたらどんなに良いだろう。次こそは、生まれてくるときの、確率1/2の宝くじをきちんと当てたい。

 

 おおむね時間通りに温泉施設に到着した。お部屋の中に露天風呂があって、驚いた。私はあまりに多くのことを知らなさすぎる。昇ってゆく白い蒸気を眺めながら、歳月に思いを巡らせていた。日々は続いてゆくというけだるい幻想が、明日は今日と違うかもしれないという、憂鬱な思い込みに遷移する。いや、明日は今日と違うはずはない。日記を読み返していたら、昨年末も友人に、先のことで悩みすぎるのは、不毛なことだと言われていた。正解が複数ある問題が存在するならば、正解の無い問題も存在するということになぜ今まで気が付かなかったのだろう。こういう場合は、気持ちに従った選択をしないと、後悔することになる。

 

 

1914/08/14 ヘッセ、日記の覚え書き

 「晴れ。暑い。変わり映えのしない日々だ。ここ数日「ブント」氏は必死に中立を守ろうとしているにもかかわらず、かなり親ドイツ的な印象を与える。それはフランス側の報道が芝居じみた大風呂敷を広げているからだ。私はこの十年間でフランスは再生を果たしたと固く信じている。しかし残念ながら報道や告示などは今なお全く旧来の扇情的なサーカス調だ。大風呂敷を広げるにも、沈黙するにも、同じように品がない。」/ 『ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集〈1〉』(臨川書店、2009年)

 

 幼稚園に通っていたころ、グラスに注がれた一杯のミルクを飲んでポンキッキーズを見てから送迎バスに乗るのが習慣になっていた。なんとなく人工芝の上に寝そべって、とりあえずそこに置いてあった箱から、園長がまめに補充している用紙を使いたい放題使ってどうしようもないほど大量の紙飛行機を作り、太陽がジリジリ照りつけるような暑い日になると、よくわからないまま先生の指示に従って、いそいそと水着に着替えてプールに入れられていた。そういった毎日を特に単調だと感じていなかったのは、身の周りの現象全てが、私の真っ黒でぎょろりとした瞳では捉えきれないほど大げさで不思議に映っていたからだ。

 当時、私はゆり組に所属していたけれど、本当はすみれ組に憧れていたので(というのも、クラスカラーの紫を神秘的に感じていたのと、花の姿が思い浮かばなくて謎めいていた存在だったからだ。)クラス分けを不公平だと感じていた。ただ不公平はどこにでも付きもので、クラスの交友関係から、子供の世界は、さまざまな不公平が、崩れやすい積み木のように微妙なバランスで組み合わさることによって成り立つものだと漠然と捉えていた。ずいぶん小賢しい子供だったと思う。

 あの頃から約二十年経ったが、今でも優良な牛の育て方やテレビ番組の制作の流れはよく分かっていない。つまり身の周りのことについて十分に知り得てはいないけれど、知っていることに関しては、抱えているありったけの言葉を使って多くの人に伝えられたら素敵だと思っている。ただ、くれぐれも感情を押しつけるような形にはならないよう、自制心を身につける必要性について、ここ数年ほど、思いを巡らせている。

 

 

 

思い出はあとから始まる

 小さな端末を両手で握り締めて、子供がおもちゃを抱きしめるみたいにして、老若男女が旅をしていた。ポケモンGOは夢と現実を同時に、手軽に見せるという点で画期的なゲームだった。しかし、それ以上に私は彼らの視点に興味がある。「視点」と口にしたがるのは私の悪い癖だと思う。読書をする中でありとあらゆる視点を実践してきた人間の、ものの見方だ。ただ、視点が、物語にとって格別に重要であるとすれば、人生にとってはその根幹にかかわる問題であると、信じている節はある。今年の七月は様々な人の話を聞くことができたので、その内の幾つかだけここに書き留めておく。

 

■学生時代からの友人の浴衣を見立てに行った。彼女は同じグループ会社で働いている友人で、とてもダイナミックで、苦い味のする仕事をしていた。彼女の魅力が最高に引き立つ模様の浴衣が選択できたので、満足だった。私より半年ほど早く歳をとった彼女に「いろいろなものを取り戻して、いっぱい抱えている物事の、精算をしなければならないよ」と助言をもらった。あまり後先を考えすぎるのもいけないらしい。彼女の話によると、物事はあっという間に始まって気が付かないうちに終わってしまうそうだ。私は忘れないうちに、その週に一つだけ清算を済ませた。その日の晩は悲しかったが、悲しみと寂しさを混同させてはいけないと思い直し、早く眠りが訪れるよう、しっかり目蓋を閉じて、ベッドの中で寝返りを繰り返した。

 

■牡蠣とクレソンのカレーを食べに行った。爽やかで夏にぴったりのカレーだった。彼は歩くのが速い。話すのも速い。連絡のテンポも速い。気が付いたら七月の終わりと共にイギリスに飛び立っていた。彼が、私の話を聞くうちに、ヘルマン・ヘッセに興味を持ったと言ってくれたのは、本当にうれしい出来事だった。ヘッセのことは好きかと聞かれたら、好きどころではない、敬意を、ありったけの敬意を払う相手に違いないと答えてしまう。ヘッセは、戦後最大の文芸批評家と称されるモーリス・ブランショにさえ「博大な教養をそなえ、叡智に心を注ぎ思考の力を持った創造者であり、フランスではこの種の人物はヴァレリージッドとともに姿を消した」と言わしめている作家なのだ。

 

■海を見に行った。気が滅入るほど真っ青な海だった。私はただぼうっと水平線を眺めていた。水平線は完全な錯覚で、それを遮ることが出来るのは虹だけだという話を思いだした。水平線はあまりにも長くて、どこまでも続いているように見えた。きっと、窓が必要だったのだ。現実の広がりはあまりにもとらえようがないので、それを理解するためにはいったん四角四辺に閉じ込めなければならなかったのだ。

 

■隅田花火大会を今年も見に行った。インターネットでよく見かけるように、炎色反応を起こす金属名をずらずらと並び立てて欲しいとせがむと、「花火大会用に覚えたんですよ」と言って少しだけ付き合ってくれた。ここの花火大会は物心ついた頃からほぼ毎年、欠かさずに見物しているが、今年見た花火は最も近くて大きくて、本当に見事だった。映画の効果音や、電車の通り過ぎる音といった大きな音は苦手なのだが、盛大な音を立てて打ち上がるニコちゃんマークの花火は、人生で見ることのできる最高なもののうちの1つだった。そもそも、空から悪い者は何も来るはずが無い。普段は静かで滑らかな光が降りてきて、ときおり連なる水滴のカーテンが地面の上で優しい音を立ててくれるのだ。ビニールシートに寝転がったら、人生で初めてなほど、人に、物理的に見下された。彼らの、あまりにも下に向ける視線を浴びることが衝撃的な体験で、叔父にこのことを話したら、「人は10センチ変わるだけで、視界がだいぶ変わって見える。君は家を持たずにビニールシートの上で暮らす人の気持ちを体験したんだね。物理的にもいろんな視点になってみると良いよ」と言われた。

 

■大学で配布されたドイツ語史の本を読み切った。1770年から1800年のドイツでは読書革命が起き、みんな熱に浮かれたように言語文化にどっぷりと溺れていたのだ。なんとも贅沢な時代だ。この集団読書中毒では、政治面で活躍の場が限られていた市民階層、特に女性たちが文学という領域に美的体験や内面体験を求める視点で小説を読み、不満を解消していたらしい。しかし19世紀末には「言語危機」と呼ばれる時代に瀕してしまったため、ドイツ語の純粋さを求め、言語ケアに取り組んだようだ。生き物でも形式でも、乱れたり、傷んでいるのを目の当たりにした場合には、優しく整え、ケアをしてやらなければならないのだ。

 

■楽譜に一生分の書き込みをした。スクリャービンがあんなに好きで、エチュード8-12を狂ったように弾いていたのが5年も前の話かと思うと驚く。youtubeを漁りながら久々に好きなピアニストを見つけてしまった。Luganskyだった。気分的にはKissinのようにクレイジーな速度で弾きたいけれど、彼の無骨な演奏を愛さずにいられなかった。今年はもう一度この曲をさらうことにする。

 

 

youtu.be

 

2016/06/21

 約束の時間には、雨はすっかり上がり、空気は季節に見合った熱を帯びていた。私は目的地までただ横をついて歩いていただけだったけれど、道にはふつうより大きな水たまりもあれば小さな水たまりもあったので、よく目を凝らすことが大切だった。

 一段目が異様に高い階段を上り、緑があふれるお店に入ると、中は白を基調とした装飾が施され、たくさんの天蓋カーテンで席が仕切られていた。私たちは約70個のキャンドルがぶら下がるテラス席に座った。

 

 果物の入った、さわやかな色のドリンクで乾杯したあと、大きな生ハムとあふれんばかりの瑞々しいルッコラが盛られた器が運ばれてきた。夏の始まりにはぴったりの料理だった。サラダを取りながら、私は彼に、今まで石造りの建物の中にある世界が当然だと思っていたものの、いざ社会に放流されると、世の中で最も当然のものなど存在しないということに驚いた、と伝えると、彼は、自覚を持つことは防御につながる、無自覚でいることに対して、よく気をつけなければいけないよ、と教えてくれた。

 

 話し相手が違ければ、当然ながら、話題も異なる。それから彼は、1961年にアドルフ・アイヒマンが裁判で露呈させた虚しさと、民衆の哀れで救いようのない絶望について話してくれた。ナチスドイツの一連の悲劇は、思考停止状態の生み出した巨大な空疎の塊であり、ドイツの哲学者ハンナ・アーレントが「陳腐」と形容したのにも少し頷けた。おそらく私と彼に共通しているのは、この出来事を、昔に起きた、ヨーロッパだけが関わる問題という風に捉えることを厭う点だった。

 そういった話のさなか食べたピザは、チーズが思いのほかふわふわで、二人で驚いてはしゃいでいた。甘いピザだった。私は不老不死ではないので、そのことに対して憂い沈むよりも、美味しいものを少しでもたくさん食べて、毎晩楽しくやるほうがずっと素敵に違いなかった。

 

 他にも宗教の話をタブー視するとはどういうことか、というのを切り口に、私たちは言葉を使って、うんうん唸りながら、宗教や社会との関わり方を一緒に模索した。高校時代の話も少ししたが、あの頃は、時代が進むことや、自分たちの身の振り方について悩む日が来るなんて思いもよらなかった。時間と人生と物語の尺度が少しずつ縮まっているような気がした。ただ、この日に言語化することによって発見した、当時の私と変わっていない点は、心の平穏は、不穏に打ち克つものだと信じている点だった。

 

 いつの間にか時刻は帰宅予定時間を過ぎていて、テラスには、空間が許す限り吊るされたランタンの橙色が、ぽわぽわと無数に灯り、宙に浮かんでいた。

 後から気が付いたことだが、この日は夏至だったのだ。どうりですべての空間が夏のものと化していたわけだと、納得した。熱をはらんだ人の群れの中で、何事もなく越えることができないような夏の存在を感じていた。

 

 

 

 

 

2016/05/28

 Mと待ち合わせをした。澄んだ空気をとおして、街の輪郭がキラキラと浮かび上がり、あたりは緑と軽やかさに満ちていた。彼女と会って話ができることは嬉しい。陽気に踊っている世界を二人で一緒に覗くことができるからだ。

 

 林檎の香りを小瓶に詰めてプレゼントすると、「レナって本当に女の子らしいんだね!」と彼女は驚いていた。普段の私との会話では女性らしさを全く意識しないけれど、ふとした拍子に、ピアノを弾くこと、読書をすること、ものを作ったり絵を描くのが好きで、美術館にも足を運ぶこと、ロングヘアーで、高校生の頃は毎日リボンをつけていたこと、ワンピースばかり着ること、それらの私をかたどっている特徴が満ち潮のように一気に押し寄せてきては、驚かされるらしい。

    いっぽうMは、足が速く、ショートカットがよく似合い、Rockが好きで夏フェスに毎年通い、歯に衣着せずハキハキと話す。ふと疑問に思って「私たち、どうして仲良くなったんだろうね」と彼女に訊いてみると、「教室でレナが『博士の愛した数式』を読んでいて、話しかけたのがきっかけかなあ」と答えてくれた。でも、残念なことに私はその場面を全く覚えていなかったので、しょうがなしに記憶喪失のフリをして弁解した。

 

 次に行く場所を決める予定だったので、事前に横浜やお台場、日本橋周辺のイベントをいくつか探していたけれど、最終的に「諭してくれる人を探し、自分の人生を聞いてもらいに行く」ことに決まった。なんだかタチが悪い行いな気がして、ワクワクする。

 自分の過去は、好む好まない関わらずに、確かに他人の中に現存しているものだった。そして、私たちは可能なすべての偶然の中からそれぞれの選択をすることが出来ると判って、明るい気持ちになった。彼女に限らず友人と話すと、上手く正気に戻ることが出来るので、今年度は友人(と、私が思っている人)と会う機会を極力増やせたら良い。