やめること

    先輩が仕事を辞めた。2年目の先輩で、某4大会計事務所に転職する。そういえば私がその人と仕事の話をしたことは1度もなかった。そもそもあまり記憶に残るような話をしていない。誰とも距離を縮めようとしない、徹底された個人プレーの仕事を眺めながらここには留まらない人間なのだろう、と感じることは度々あった。

    もう一人の2年目の先輩はつい最近、大手外資系の企業から内定を得たらしい。彼は入社当初に「僕は誰とも仲良くするつもりは無い」と言い放ったエピソードが有名だった。彼もここを辞めていくのだろう。

 

    少し前に「嫌ならやめればいい」という言葉に触れた。心に留めておこうと思った。私は無理やり矯正をかけるタイプで、中学校で伴奏を担当したときに自分が間違えたのにも関わらず、とぼけたふりをして全員の歌声を置き去りにし、そのまま強引なピアノを走らせて音楽教師の寿命を縮めてしまったことがある。(これは8年越しの懺悔です。)

    そうは言ってもある人から教わった「戦争は始めるよりも終わらせる方が難しい」という言葉を思い出さずにはいられない。理想は身の周りを散らかすことなく生きることなのだろう。多少乱れたとしても、自力で収束できる程度に留めたい。終え方は始め方以上に誤魔化しが利かず、延々と記憶に残り続けてしまう、このことを忘れるのはあまりに危険だ。

    一つ一つを上手に終えられる人のみ、満足度の高い人生を形成することができる。振り返ったときに見える人生は全て記憶の積み重ねに他ならないのだから。散らかさない覚悟と、万が一散乱してしまった際、それを回収できるシステムを設定しておくことが重要なのだと思う。

 

 

 

 

2015/09/25 - 2015/09/27

 なんだか今日はやけに神に捨てられる日だなあと思っていると神様のうちの1人が私の目をじっと見据えて「今日は何の日だか知っている?」と訊いてきたので、初めて日にちと世間的イベントが結びついた。私は、職業がら25日のことをどうしても愛せなくなってしまった。にも関わらずその日は毎月訪れるので、これが「世の中を生きづらくなる」ということかもしれないと思った。

 

 19世紀末のデカダンス派作家であるユイスマンスは最終的に隠遁生活を選択した。修道院では社会生活の些末な厄介ごとから解放されるうえに、うまくいけば永遠の命も手に入れられるそうなので、26日に上野でこのことを人に話しながら密かに隠遁生活を将来の目標に加えた。

 

    今日は一昨日の晩に開かれた歓送迎会のことを思い出していた。送られる人は生まれた日付が私と同じだったので一緒に誕生日を迎えたいと思っていたけれど、結局叶わなくなってしまった。迎えられる人は怒ることが苦手なので、穏やかな口調のときは、何か言いたいことがあるのかもしれないと察してもらえたら助かる、なんて言っていた。

    会の終盤で送られる人と迎えられる人、それぞれがタイミングを見計らってとりまく人々から抜け出し、個々に「頑張れよ」と声をかけに来てくれた。私は2度ともすっかり胸が一杯になってしまい、何も言葉が出てこなかった。

    同じテーブルに座っていた天真爛漫なマダムは微笑みながら正面に来たかと思うと私の両手首を捕まえて勢い良く振り回した。突然のことにびっくりしていると「嫌なことはこうやって指先から逃がしちゃえば良いのよ」と行動とは裏腹にエレガントな物言いで教えてくれた。まだ二十余年しか生きていないのに、ずいぶんと貴重な教えを授かってしまった。

    どこかの神が気にかけてくれる内は、せめて彼らの暮らす社会のために何かを頑張ることにしたので、私自身のための修道院暮らしはもう少しだけ先送りになった。

 

 

 

 

2015/09/21

 半年ぶりの友人たちに会った。七人で同じ授業をとり、全員そろったことが四年間で数えるほどしか無かった彼女たちは今、なし崩しに働いていた。うち二人はまだ学生をしていた。

  そもそも集合場所も時間もはっきりとは決めていなかったため、各々がカンを頼りに移動した。それでも欠席予定の一人を除く全員が集まるのに一時間しかかからなかった。水槽でいびつな顔の深海魚を飼っているお店に入った。私達は、休みの日は何をしているとか、仕事がどうとかいった生活の話はほとんどしない。 聞いたところでたぶん皆おなじようなことしかしていない。唯一聞いたそれらしい話といえば「先月、ベッドもソファも買い換えた。私は二週間に一回気が狂うので、おとといソファのスプリングを壊してしまった」という内容だった。
 あることに対してみんなの様子をうかがってみると、3/7が正常とされている状態にあって、4/7が世間的には異常とされている行動を実践していた。「普通でない」とラベリングされた者たちは特に異常な状態から脱却しようという気はなく、「これが社会の縮図だね」と言って、全員で笑いあった。
 最後に「せっかくの連休だから今日は明日一日を台無しにするような過ごし方がしたい」といってMとMは六本木へ向かった。「こんなことならもっと高いヒールを履いてくればよかった、いつもみたいに500cmくらいあるやつ」というМの言葉を最後に私たちは解散した。

 水槽に沈む深海魚と思っていた醜い魚は、実は小さなサメだった。