読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2015/09/25 - 2015/09/27

日記

 なんだか今日はやけに神に捨てられる日だなあと思っていると神様のうちの1人が私の目をじっと見据えて「今日は何の日だか知っている?」と訊いてきたので、初めて日にちと世間的イベントが結びついた。私は、職業がら25日のことをどうしても愛せなくなってしまった。にも関わらずその日は毎月訪れるので、これが「世の中を生きづらくなる」ということかもしれないと思った。

 

 19世紀末のデカダンス派作家であるユイスマンスは最終的に隠遁生活を選択した。修道院では社会生活の些末な厄介ごとから解放されるうえに、うまくいけば永遠の命も手に入れられるそうなので、26日に上野でこのことを人に話しながら密かに隠遁生活を将来の目標に加えた。

 

    今日は一昨日の晩に開かれた歓送迎会のことを思い出していた。送られる人は生まれた日付が私と同じだったので一緒に誕生日を迎えたいと思っていたけれど、結局叶わなくなってしまった。迎えられる人は怒ることが苦手なので、穏やかな口調のときは、何か言いたいことがあるのかもしれないと察してもらえたら助かる、なんて言っていた。

    会の終盤で送られる人と迎えられる人、それぞれがタイミングを見計らってとりまく人々から抜け出し、個々に「頑張れよ」と声をかけに来てくれた。私は2度ともすっかり胸が一杯になってしまい、何も言葉が出てこなかった。

    同じテーブルに座っていた天真爛漫なマダムは微笑みながら正面に来たかと思うと私の両手首を捕まえて勢い良く振り回した。突然のことにびっくりしていると「嫌なことはこうやって指先から逃がしちゃえば良いのよ」と行動とは裏腹にエレガントな物言いで教えてくれた。まだ二十余年しか生きていないのに、ずいぶんと貴重な教えを授かってしまった。

    どこかの神が気にかけてくれる内は、せめて彼らの暮らす社会のために何かを頑張ることにしたので、私自身のための修道院暮らしはもう少しだけ先送りになった。