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過剰すぎる過剰

日記

 木曜の昼下がりに高い場所、具体的には21階で、血液を採取された。白衣を纏う看護師の清潔な爪先に、ひっかき傷のような愛しい形の月を重ねた。古代の人々は月の青白さを血の欠乏のせいと考えていたため、月をすっかり真似てみようというのなら一滴残らず徹底的に血を抜いてしまわねばならないだろう。

 血液は透明のケースにトクトク流れ込み、沈黙を押し通す月とは程遠い。血液が循環している。この事実を把握するのに1628年も待たなければならなかった(血液の運動を発見したのは、本当はウィリアム・ハーベーより『逍遥学派の諸問題』を記したアンドレア・チェザルピーノのほうが先かもしれない)。白い床、白い壁、白いカーテンに囲まれた空間で、冷たい掌が頬を撫でるとじんわり熱が伝わり、顔がやや赤らんでいることが分かった。感情が昂るときに頬を赤く染め上げるものの正体は循環する血の赤色だけではない。月が憂鬱で冷たい光線を浴びせて額に浮かび上がらせる青白さのせいもあるのだ。

 

 金曜は3人の天使と遭遇した。さしあたり何があった訳でも無いが、夕暮れ時に2人の天使に声をかけられた。電車の中で力なく佇んでいると、無言で席を譲ってくれた彼も天使にカウントした。苦しみや悲しみを意識していなくとも、そして彼らが純白の翼を生やしていなくとも、慰めは実感された。

 帰り道、何かを身体に取り込みたくて食料を一通り眺めるもどれも欲しているものと違っている気がして、飲料の方を端から丁寧に眺めるも、やはりどれも違っていた。その日の明け方に、私には何もかもを人ごとに捉えすぎる傾向があることを指摘された。

 

 土曜の夜はパーティに行った。カフェで友達と迎えを待っていると通話している男性が横切り「OKでございます」などと怪しい日本語を使っていたものだから一緒に大爆笑してしまった。会場に到着するとなんとOKでございますの彼と遭遇したので友達とひそひそ声で大謝罪をした。相手にはおそらくなにも伝わっていない。白内障の犬を撫でたら「犬が好きなの」と訊かれたので「嫌いだよ。3匹飼っているの。3匹とも彼氏。仕事できなそうな彼氏、ていうかみんなヒモ。なんてったってチワワだからね」と答えた。ピアノは置かれていなかった。それからアメリカ人による日本語を話すスウェーデン人の真似が始まって、韓国語のコールを教わり、椅子取りゲームをして、こっそり抜け出し、タクシーを呼んで、両ほほに可愛い2人の友人からキスをもらって、とことんパーティが苦手なことを実感しながら帰った。あの場所で考えていたのは、この時代が私たちに与える過剰が、どんなに過剰かということだった。