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星を飲む

日記

 悔い改めるべきことはきっと山ほどあるので、悔恨についての話はどうみても必要だった。ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』がまぎれもなく素晴らしい作品なのは、悔恨についての話であるからだ。悔恨についての物語は、いずれは誰かが海辺で拾い上げてくれる、手紙を入れたガラス瓶のようなものに思える。

 クリスマスプレゼントに『少年の日の思い出』の原文、『Jugendgedenken』をもらった。これはドイツでは出回っておらず、手に入れられるのはすべてこれの初稿である『Das Nachtpfauenauge』(クジャクヤママユ)のほうである。つまるところ、これは貴重文献であり、世界中を探してくれたとのことだった。すごいプレゼントを、どうもありがとう。手製で綴じられたこの作品は時間をかけてゆっくり訳そうと思う。著作の中には確実に筆者が存在しているのだから。

 作中で主人公は盗みを働いてしまったことよりも、美しく珍しい蛾を修復不可なまでに壊してしまったことが何よりつらかったとはっきり述べている。私も何か、悔いなければいけないようなことがあるような気がしたけれど、それが何かはよくわからなかった。自分が犯した罪を悔やむことに、郷愁を覚えているだけかもしれない。悔恨という考えそのものが、ただ気持ちよかっただけかもしれない。これまで生きてきた人生に満足しているけれど、その他方では自分の人生に対して悔やみたいような気もする。

 クリスマスの街にはたくさんの人がいた。幸せそうな人がたくさんいたけれど、彼らと私の間には何の共通点も無かった。たとえ彼らの世界の中で生きてきたところで、お互い相手とは縁もゆかりも無かった。外は灯りに包まれていた。冬の日は夜空に白いミルクのような月が浮かび、別の角度の空にはなじみの深い星がみえるため、つい空ばかり眺めてしまうが、やはり地上を見なければいけなかったのだった、地上を。あんなにたくさんの星を持つ空にとって、ひとつやふたつ星が落ちたからってどうということはないだろうし、人生はいつだって私たちに頭を下げることを義務づけているのだから。