思い出はあとから始まる

 小さな端末を両手で握り締めて、子供がおもちゃを抱きしめるみたいにして、老若男女が旅をしていた。ポケモンGOは夢と現実を同時に、手軽に見せるという点で画期的なゲームだった。しかし、それ以上に私は彼らの視点に興味がある。「視点」と口にしたがるのは私の悪い癖だと思う。読書をする中でありとあらゆる視点を実践してきた人間の、ものの見方だ。ただ、視点が、物語にとって格別に重要であるとすれば、人生にとってはその根幹にかかわる問題であると、信じている節はある。今年の七月は様々な人の話を聞くことができたので、その内の幾つかだけここに書き留めておく。

 

■学生時代からの友人の浴衣を見立てに行った。彼女は同じグループ会社で働いている友人で、とてもダイナミックで、苦い味のする仕事をしていた。彼女の魅力が最高に引き立つ模様の浴衣が選択できたので、満足だった。私より半年ほど早く歳をとった彼女に「いろいろなものを取り戻して、いっぱい抱えている物事の、精算をしなければならないよ」と助言をもらった。あまり後先を考えすぎるのもいけないらしい。彼女の話によると、物事はあっという間に始まって気が付かないうちに終わってしまうそうだ。私は忘れないうちに、その週に一つだけ清算を済ませた。その日の晩は悲しかったが、悲しみと寂しさを混同させてはいけないと思い直し、早く眠りが訪れるよう、しっかり目蓋を閉じて、ベッドの中で寝返りを繰り返した。

 

■牡蠣とクレソンのカレーを食べに行った。爽やかで夏にぴったりのカレーだった。彼は歩くのが速い。話すのも速い。連絡のテンポも速い。気が付いたら七月の終わりと共にイギリスに飛び立っていた。彼が、私の話を聞くうちに、ヘルマン・ヘッセに興味を持ったと言ってくれたのは、本当にうれしい出来事だった。ヘッセのことは好きかと聞かれたら、好きどころではない、敬意を、ありったけの敬意を払う相手に違いないと答えてしまう。ヘッセは、戦後最大の文芸批評家と称されるモーリス・ブランショにさえ「博大な教養をそなえ、叡智に心を注ぎ思考の力を持った創造者であり、フランスではこの種の人物はヴァレリージッドとともに姿を消した」と言わしめている作家なのだ。

 

■海を見に行った。気が滅入るほど真っ青な海だった。私はただぼうっと水平線を眺めていた。水平線は完全な錯覚で、それを遮ることが出来るのは虹だけだという話を思いだした。水平線はあまりにも長くて、どこまでも続いているように見えた。きっと、窓が必要だったのだ。現実の広がりはあまりにもとらえようがないので、それを理解するためにはいったん四角四辺に閉じ込めなければならなかったのだ。

 

■隅田花火大会を今年も見に行った。インターネットでよく見かけるように、炎色反応を起こす金属名をずらずらと並び立てて欲しいとせがむと、「花火大会用に覚えたんですよ」と言って少しだけ付き合ってくれた。ここの花火大会は物心ついた頃からほぼ毎年、欠かさずに見物しているが、今年見た花火は最も近くて大きくて、本当に見事だった。映画の効果音や、電車の通り過ぎる音といった大きな音は苦手なのだが、盛大な音を立てて打ち上がるニコちゃんマークの花火は、人生で見ることのできる最高なもののうちの1つだった。そもそも、空から悪い者は何も来るはずが無い。普段は静かで滑らかな光が降りてきて、ときおり連なる水滴のカーテンが地面の上で優しい音を立ててくれるのだ。ビニールシートに寝転がったら、人生で初めてなほど、人に、物理的に見下された。彼らの、あまりにも下に向ける視線を浴びることが衝撃的な体験で、叔父にこのことを話したら、「人は10センチ変わるだけで、視界がだいぶ変わって見える。君は家を持たずにビニールシートの上で暮らす人の気持ちを体験したんだね。物理的にもいろんな視点になってみると良いよ」と言われた。

 

■大学で配布されたドイツ語史の本を読み切った。1770年から1800年のドイツでは読書革命が起き、みんな熱に浮かれたように言語文化にどっぷりと溺れていたのだ。なんとも贅沢な時代だ。この集団読書中毒では、政治面で活躍の場が限られていた市民階層、特に女性たちが文学という領域に美的体験や内面体験を求める視点で小説を読み、不満を解消していたらしい。しかし19世紀末には「言語危機」と呼ばれる時代に瀕してしまったため、ドイツ語の純粋さを求め、言語ケアに取り組んだようだ。生き物でも形式でも、乱れたり、傷んでいるのを目の当たりにした場合には、優しく整え、ケアをしてやらなければならないのだ。

 

■楽譜に一生分の書き込みをした。スクリャービンがあんなに好きで、エチュード8-12を狂ったように弾いていたのが5年も前の話かと思うと驚く。youtubeを漁りながら久々に好きなピアニストを見つけてしまった。Luganskyだった。気分的にはKissinのようにクレイジーな速度で弾きたいけれど、彼の無骨な演奏を愛さずにいられなかった。今年はもう一度この曲をさらうことにする。

 

 

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